久しぶりに沖縄の八重山に訪れました。
数年前ある島に滞在した際に知り合った家族を訪ねての旅です。
とはいえ、遠くから「会いに行きます」といって予定を立てるのもなんだか相手には重いような気がするので、いつもノープランでひとまず行ってみるようにしています。
村に到着して散歩がてら訪ねてみると、お父さんがちょうど裏庭にいて数年ぶりに再開することができました。子どもたちは最初は覚えていないのか照れていましたが、すぐに意気投合して木の茂みに消えていってしまいました。
それからは、娘は朝から村の子供たちと遊びに出かけ、滞在したコテージにいたり、いなかったり。
僕たちも自炊しつつ、結局は全部友達の家はこんでみんなで持ち寄り宴会をしたり。
あっという間の数日間でした。
そっちには何もないですよ
その島に僕たちが初めて行ったのは10年程前です。
今でこそ興味がなくなってしまいましたが、その頃はいわゆる「リゾートホテル」に泊まることが嬉しくて仕方なかった頃。
その時、港からの送迎バスの車内でドライバーが島の紹介をしてくれていました。そしてホテルに到着する頃に、ドライバーがこう言いました。
「この先は、もう何もありませんね。」
確かにガイドブックや観光マップにはその先には何もなく、僕たちも興味を示しませんでした。
でも時は経ち、僕たちはリゾートホテルに興味はなくガイドブックすら持っていない。
そしてあの時「何もない」と言われた場所に「全てがある」ように感じる。
もちろん島に変化があった訳ではなく、僕自身の価値観が変わり、勝手にそう感じているだけのこと。
でも割と若いうちからそういう風に変われたこと、気付くようになったことには本当に幸せだなと感じます。
子どもの頃の友達
島を離れる日は、子どもたちは「今日最後だから朝から海にいこう」とか「(普段行かない)食堂に食べに行こう」などと朝から大忙し。そして船着場ではしくしく泣いたりと、こちらまでもらい泣きしてしまいそうになります。
僕は子どもの頃、飛行機に乗って行くような遠い場所に友達なんていなかったし、大学生になっても飛行機なんて特別な乗り物だった。外国はもちろん、遠く離れた沖縄の様子だって本を読まないと分からなかった。
でも今は違うし、この子たちが大きくなる10年20年後は世界はもっと身近なものだろう。
小さな頃からいろんな場所に友達ができていく子どもたちを見て
「いつか親も知らないうちに、自分たち同士で連絡をとって再開したりするのかな」
なんて、少しうらやましく思ったりします。