たった4人の演劇公演

少し前に、とある日本のシュタイナー学園の中等部(7・8年生にあたる子たち)の演劇を見せて頂く機会があった。

演目はシェイクスピアの喜劇。
その学校ではその学年の生徒数が少なく、驚くことに出演する生徒は4人ということだった。4人でシェイクスピアの長い劇を、一体どうやって演じるのだろう?舞台の幕が上がった時点から、僕の心には「4人だけで大変だろうな、なんとかできました程度のものかな」という気持ちがあった。

しかし約2時間の演劇を観終え、その4人の子どもたちの様子に、僕はただただ驚き、関心するしかなかった。あまりに素晴らしい演劇だったからだ。

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13,4歳の4人で2時間の演劇をする

13、14歳の4人で2時間の演劇をする。それだけで無理があるように感じるのではないだろうか?
シェイクスピアの演劇は台詞の量だけでも物凄いボリューム、言葉や言い回しは日常会話では使わない難しい言葉ばかり。

(間が空き、時折セリフが途切れ、観客も疲れてくるのかも)

観に行く前はそんなことを思っていたのだが、それらはすべて杞憂に終わった。

10名近い個性豊かな登場人物を、掛け持って代わる代わる演じる4人。
膨大な文字数の、難しい日本語の台詞も、明瞭な発声で、感情的に、堂々と。
舞台道具は非常にシンプルながら、場面の移り変わりは非常に分かりやすく考えられていて、2名が出ていればその裏で2名があっという間に衣装を着替える。僕はその子たちを知っている訳ではないので、最初は4人がやっていることすら気づかないほど。

飽きることないまま、あっという間に約2時間の舞台が終わった。

僕は「たった4人でこんな事が可能である」という事実を目の当たりにし、ただただ感銘を受けた。

もちろん、「選ばれた精鋭の4人」ではないはずだ。
たまたまその年に入学し、たまたま出会っただけの4人の普通の子どもたちだ。声変わりで少し発声しづらそうな子、元々はとても内気な性格なんだろうな、と感じさせる子もいる。

だが、皆がそれを完全に克服し、堂々とした態度で演じていた。

1人1人、台詞を覚えるだけでも数ヶ月の練習が必要だろう。それを4人合わせて構成するだけでもさらに数ヶ月、舞台セットや衣装を製作するにも更に時間がかかるだろう。それをこの4人と、先生と、それぞれの分野の協力者の力を借りて、そこまで完成させた演劇作品だった。

舞台は午前午後で2日間。(4人で2時間の舞台を、1日に2回公演するという事自体、相当な体力と集中力が必要なこと)

僕はもし彼らの時間が許すなら、日数や会場を増やしてもっと多くの人に観てもらうべき作品だと感じた。

個々が主体的な行動を取ること

僕は以前から、どのような教育方針であれそのコミュニティの母数が少なくなればなるほど、学校という集団での子どもの絶対人数が減り、人数が少ないことは大きなデメリットだと考えている。僕らが日本ではシュタイナーの幼稚園を選ばなかったものの、カナダでは規模の大きさを理由にシュタイナー幼稚園を選んだのも、学校は集団生活での社会性を学ぶ場としてそのコミュニティの大きさを重要視しているからだ。

人数が少ないことによる難しさは大きな課題だとは思うが、こうやって非常に小さなコミュニティで、小学・中学を通し「自分たち一人ひとりが主体的な行動とならないと、何も起こらない」という特殊な環境で成長してきた子たちのその力は、おそらく彼らの人生にとって大きな力になる宝物になるだろうと思わずにはいられない。

演劇発表会は大抵の学校にもあるものだ。1人づつ満遍なく登場できるよう1,2つの登場シーンを与えられ、3つ4つの台詞を言って、最後にみんな並んで大声で歌を歌えば終わり。親たちは必死でカメラやスマホを向けて我が子の僅かな登場シーンを記録する。設定したとおりに事が進み、保護者からのクレームがなければ学校や先生としては胸をなでおろす。

大きな流れに流されるだけの今の学校環境では、得ることが難しい、あるいは絶対に得られないものかもしれない。

何が子どもの力を引き出すのか

現代の中学生は、スマホを手に入れ、SNSに夢中になり、本来必要でない何百ものメールを送り合い、それなのに友人と本心で語れず、精神的に疲弊していく子どもたちが増えつつあるように思う。

そんな悲観的なイメージとはかけ離れた、4人の子どもたちの姿。彼らとてスマホくらい持っているかもしれない。SNSくらいやっているかもしれない。

しかし、自分の貴重な時間を何に使い、何に使うべきではないか、明確な判断力を身に着けているように思う。

僕はこれを書いて、決して特別な方針を掲げた少人数の学校が良い、大規模な普通の学校が良くないと言いたい訳ではない。また、たまたま見た4人の子どもを見て、漠然と描く現代の中学生像を批判しても仕方がないことは理解している。

ただ、幼少時代、小学校時代をどのように過ごすかで、10代の時点での子どもたちの「自己肯定感」「自信」「創造力」は大きく左右されること。

子どもたちが秘めた力というのは、場合によっては秘めたまま埋もれてしまう可能性もあり、場合によっては大人の想像を軽く超えていく。

そんなことを改めて感じている。

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