しばらく前、日本の喫茶店で手にとったファッションカルチャー誌で「こどものためのアップル」という特集があった。
モデルやクリエイター、アートディレクターといったふんわりした肩書のお洒落な人達が、微笑みながらiPadがいかに子どもと愛称が良いかについて語っていた。
写真もインタビュー内容も、いかにも今を象徴するような内容で、メモとして写真を撮ってあったのでそれを紹介したい。
「うちは困ったときのアップル頼みが多いかな(笑)。3歳になる長女は、生後10ヶ月位からiPadで遊んでました。お絵描きソフトで遊ばせてれば、静かにしなければならない場所でもご機嫌。タッチすれば画面が変わるし音も鳴るから飽きないんでしょうね。そのうちいろんな操作を覚えて、今ではどこからか動画を探してきて見たりしています。でも、勝手にファイルを捨てられちゃったり、困らせられてもいますけど(笑)」
その他にも、
「子どもたちが自然に操作する感性の鋭さには創造性も感じられて驚きます。」
「姉妹仲良く使えるアプリがほしい。」
「一番人気の先生はiPadでした。」
とても最先端な感じがして、雑誌に限らずテレビやWebメディアでも取り上げられそうなトピックだと思うし、同じように子どもと楽しんでいる方は珍しくもないだろう。
このようにデジタルデバイスの普及が現在進行形なのは世界中同じだけれど、一家に一台、1人1台所有し、それを子どものおもちゃとしても使いこなすことが「最先端で、お洒落で、クール」というイメージは、この日本では特に強いように思う。
でも2014年のこの日本の現状は、必ずしも先進的だとは言えないかもしれない。
シリコンバレーのテクノロジストは自分の子どもをコンピュータから遠ざける
NY Timesのある記事を紹介したい。
NY Times: A Silicon Valley School That Doesn’t Compute
eBayのCTOやGoogle、Apple、Yahoo、HPに勤める、テクノロジーの可能性や利点を知リ尽くしてるトップ0.1%に属するであろう人たちが、あえて自分の子どもには使用を禁止する、という内容の記事。このセンセーショナルな記事が話題を呼んだのはもう3年も前、2011年のことだ。
2011年といえば、iPhoneを始めとしたデジタルデバイスは全てにおいて革命的であり、それを所有し使いこなすことが僕たちの生活に最善の選択だと思われていた。それがこの記事が書かれた2011年頃から「デジタルテクノロジーが子どもに与える影響」を危機と感じて対応する流れは、先進国で少しづつ大きくなってきている。
一方、日本では娯楽としてタブレットやスマートフォンを積極的に買うような(ITリテラシーが高く、そういう娯楽にお金を使える位の家庭の)親ほど子どもがそれを与えることを良いことだと考えている風潮が今も強いようだ。親になった若い夫婦が、子どもがiPhoneを触る様子を見せて「うちの子は2歳でタッチスクリーンを使いこなしてる。すごいでしょ☆彡」という具合に。
デジタルデバイスはもはやファストフード
iPhone日本発売は2007年。デジタル大好きな人々が熱狂したあの頃から既に6年の歳月がたち、僕たちはそれに対する理解を深める必要があると思う。
先に書いたように、日本ではまだIT従事者やITリテラシーの高い人たちほど、そのテクノロジーが自らの生活に与える影響について包括的な理解をする努力をしない傾向にある。スマートフォンが新しもの好きの特別なおもちゃだったころはまだそれでよかったかもしれない。
しかし2014年現在、デジタルテクノロジーはもはや国道沿いのファストフード店のようになっている。
- 実質0円のような形で、手に入れること自体のハードルは極めて低い
- ゲーム等の中毒性のあるコンテンツマーケットによる大衆広告が氾濫する
- 子どもを惹きつけるコンテンツが充実し、子どもに与えることで親が楽になる(一時的に思考停止させることができる)
つまり、経済的に豊かで情報リテラシーの高い一部の人の贅沢品ではなく、その真逆の存在だ。
テクノロジーが自らの生活に与える影響について、日本で理解が進むにはまだまだ時間がかかりそうだが、子育てに及ぼす影響は想像以上に大きいかもしれない。この凄まじいスピード感の混沌の中であれよあれよとデジタル漬けで0〜10歳くらいまでを過ごす子どもは、確実に本来はあった何かを失っていくだろう。
テクノロジーは成熟した大人にとってよりよい生活のためのツールであることは間違いないが、それを享受すべき時期というのは、感性や能力が形成された後である必要がある。つまり人間の発達過程の中ではおそらく10代以降で十分だろう。その順番が食い違うことは、大きな歪みや間違いの原因になり得る。
外に出かけると、幼児にiPhone渡してYoutubeでアニメを見せておとなしくさせようとする親を見かけることがある。おそらくその子はそのようなアニメキャラクターを中心とした日々を送っていて、それを見せれば子どもはすぐに夢中になって泣き止むのだろう。でも僕は彼らと「車内に放置してパチンコ行く親」に大きな違いを感じられない。
厄介なのは、デジタルテクノロジーが変に「お洒落」だという所かもしれない。
冒頭に紹介したように、30〜40位の子育て世代向けのオシャレ系カルチャー雑誌によってイメージがビジュアル化され、全国隅々のコンビニエンスストアに並び、彼らに憧れる大衆を動かして常識を作っていく。(僕は彼らを「スタイリッシュ・ネグレクト」とでも名付けたいと思う)
コンピュータを触らないことは難しいのか
NY Timesの記事ではシリコンバレーのテクノロジストが通わせる学校としてカリフォルニアにあるWaldorf School(シュタイナー学校)を挙げている。僕もシュタイナーを選んでいる理由の1つとしてそのような考え方に共感していることは確かだ。
でも、幼児期の子どもをデジタルから遠ざけるという考え方は全く特別なことではないし、難しいことでもなく、更に特別な教育環境としてお金がかかることではない。ただ単に家庭内で、子どもとどのような時間を大切にすべきかを考え直すというだけの全くもってシンプルなことに過ぎない。
生後10ヶ月からiPadで遊んでます。
子どもたちが自然に操作する感性の鋭さには創造性も感じられて驚きます。
姉妹仲良く使えるアプリがほしいわ。
一番人気の先生はiPadでした。
これが本当に素晴らしい幼児期の過ごし方なのか。
流行を追うことがその役割である雑誌はある日突然言う事を変える。子どもむけアプリを取り上げた次の号には「脱デジタル子育て」なんて言って別のお洒落な人達が子どもとキャンプをしているかもしれない。とにかく僕たちはいつも自分自身で物事を考える必要がある。
NY Timesをはじめ、英語圏の新聞等ではしばしばこのテーマの記事が取り上げられる。見つけるたびにスクラップしているので、少しづつこのブログで翻訳紹介していきたい。
スティーブ・ジョブズのローテク子育て デジタルパパの子育て日記
[…] 以前、「シリコンバレーのテクノロジストは自分の子どもをコンピュータから遠ざける」という記事をご紹介しましたが、2014年9月10日付けのNYTimesにスティーブ・ジョブズが同じように […]