「子どもは本当にアンパンマンが好きね」
日本で小さな子どもをもつお父さんお母さんたちは、気づけばキャラクターグッズに夢中になっている子をみて「やれやれ」といった感じにこんな会話をします。
でも、これは大きな誤解ではないでしょうか。
子どもが飛びつくように設計された商品
虫カゴに蜜を入れれば虫が夢中でそこに集まる。同じように、企業の大人たちが頭を使い、「子どもが飛びつくように設計された商品」を子どもに与えれば、子どもが飛びつくのは当たり前です。
親たちはその光景を見て「子どもというものは生まれつきそういう物が好き」であるかのように錯覚するけれど、単に「大人が好きにさせただけ」に過ぎません。アンパンマン、プリキュア、◯◯レンジャー、その他ありとあらゆるキャラクターマーケットが「日本の子供時代」を占拠しています。その光景はまるで幼児期からの義務教育であるかのように見えてしまいます。
僕の疑問は、なぜ子どもがそれをしなければならないのか?ということです。
どんなに有名なアニメ作家よりも創造性と可能性に溢れ、真っ白なキャンバスを広げて生まれてくる子どもが、なぜ、大人によって巧妙にデザインされた既成品の顧客にならなければならないのだろうか?
もしそれがなかったら、どんな事に興味を持っていただろう
日常的にテレビ等に依存している親のいる家庭では、キャラクターの影響を避けることはとても難しいもの。更に幼稚園・保育園へと社会が広がるにつれてそのようなキャラクターの影響を避けることはもっと難しいと思います。家庭で一切触れていなくても、必ず保育園等で覚えてくるからです。園舎にアンパンマンのモチーフが張り巡らせ、テーマソングを流す保育園もあるくらいなので、無理もないと思います。
でも、こんなことを想像してみたらどうだろう?
- もしそのキャラクターに夢中になっていなかったら、この子はどんな事に興味を持っていただろうか?
- どんな絵を描いてくれただろうか?どんな歌を歌ってくれただろうか?
人は強い刺激の後には更に強い刺激を欲するようになります。強い刺激を与えた後に繊細な刺激への反応を求めることはとても難しいのです。
くっきりと輪郭が描かれ、機械的にペイントされたキャラクターに慣れ親しんだ子どもは、そのキャラクターを真似して描くことばかりを考えるようになる。
もし生活環境に「既成の子ども用商品」が溢れていて、何に疑問もなくそれらを我が子に与えているとしたら、一度立ち止まって考えてみて欲しいと思います。
赤ちゃんが広げる真っ白なキャンバスをそっと見守ってあげることができれば、子どもは自らの何かを描き出す。
ぼんやりとした薄い線、まだらなグラデーション、光のような色彩。
それは大人にとって、とりわけ親にとっては、どんな偉大なアーティストの絵画よりも輝いて見えるものだと思います。
子どもの玩具 2 〜奇跡の空想を見つけよう〜
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