カナダに来てから初めて引越しをしました。
ずっと住んでいた場所は街外れのとても静かな場所で条件も悪くはなかったのですが、いろいろな条件を考慮して引越しを決意しました。といっても同じ街の中、車で10分ほどの場所です。
新しい家探しで一番優先したのは娘が通う幼稚園(Waldorfスクール)に近いこと。前の家は15kmくらい離れていましたが、今度は距離にして2km弱。
学校は街はずれの森の中にあるのですが、家賃相場は街の中心部よりも高いです。何故かというと公立幼少学校の学費が一切かからないここブリティッシュコロンビアで、わざわざ年間数十万円の学費を払ってWaldorlスクールに通わせるような層に人気のエリアなので、結果的に家賃が高くなるのは仕方がないかもしれません。
ただこのくらいの家賃となると「買ったほうが得」であることは間違いなく、僕たちのような長期的にここにいるかどうかは分からない状況の人が少し高くてもできるだけ良い環境を選ぶのだと思います。
選んだ家の家賃は前の家より1.5倍ほど高く、パパとしては少々迷う所でしたが、ガソリン代も一気に減ることや環境のことを考えて移り住むことにしました。
今回はそこを詳しく書いてみます。
引越しの決め手1:自転車通学
引越しのハイライトは「自転車通学」。
娘は6歳になっても自転車に乗れなかったのですが、年末に日本に帰った時に僕の実家のたんぼみちで沢山練習し、ついに補助輪が取れました。そして「自分で自転車をこいで学校まで行く」というのは大きな大きなチャレンジです。
出発は朝8時。寒い朝の空気を感じ、朝日を感じ、木々の匂いを嗅ぎながら、ゆっくりゆっくりこいで20分で学校に到着します。
大人にとってもそうですが、森の中をただ歩いたり走ったりすると心が無になっていろいろな考えが巡ります。娘と2人で歩くようなスピードで進みながら、いろいろな話をします。この時間がなかれば話す機会などなかったであろう話題もふと湧いてきたりしてとても良い時間になっています。
そして僕はイヤホンをかけてNike+を立ち上げ、少し遠回りの道をランニングして帰ります。僕にとってもトータル5kmの朝ランもできる気持ちのよい朝になっています。
引越しの決め手2:森の中
前の家も日当たりが良いバックヤードが素敵な家でしたが、新しい家は丘の斜面に建つログハウスのような家で、玄関は1階、南側は3階以上の森の中という雰囲気。デッキは高い木々に囲まれ、木漏れ日が差し込む森の中の空中ウッドデッキのような雰囲気でとても気持ちのよい家です。
また裏庭からそのままトレイルに降りていくことができます。
ご近所さんの牧場などを抜けて苔むすトレイルを10分ほど歩けば静かな清流があり、川沿いに15分歩けばProvincial Park(ブリティッシュコロンビア州立の公園)に出ることができます。
こうしたトレイルや公園はどこにも沢山ありますが、少し離れていれば車に乗って「さあ行こう」というノリが必要ですが、ここなら玄関から思い付きで歩き出すことができます。
というわけで、広さや間取りといった家そのもののことはほとんど考えず、とにかく環境だけで選んだ家となりました。もちろん、部屋数やインテリア、キッチンや設備なども前の家より数段良くなりました。
当初想定していた家賃より数万円も高いとそれだけで対象外としがちですが、数字だけを見るのではなく、そこに住むことでどんな風に暮らしが良くなるかを具体的にイメージすることが大切だと思います。
実際の差額以上に、付加価値を感じられれば十分に選択対象にする価値はありますし、家族の心が安らぐ家であれば仕事へのモチベーションも高くなっていくのかもしれません。
引越しとこどもの心のケア
引越しで一番気を使ったのは、子どもにとっての環境の変化です。
幼少期の成長過程にとって、生まれた場所や周りの環境が安定して続いていくというのはとても重要だと思っています。都会に住む核家族の人たちにとって引越しは珍しいことではないかもしれませんが、僕のように田舎で代々続く家で生まれ育った僕にとって「引越し」なんて子供の頃には想像すらできなかったことです。
僕たちは娘がようやく保育園にも慣れ友達もできた所でカナダに引越すという大きな引越しをさせてしまっていて、それは自分たちの選んだ道ですが、子どもにとっては大きな負担をかけることには違いなく、環境変化にはかなり気を遣っています。
引越しをすることは娘にもかなり前から伝えていましたが、当日は友達の家に遊びに行かせている間に僕が1人でバンを借りて3往復かけて済ませ、娘の部屋をセッティングして一気に新しい家を紹介しました。
娘はすぐに家や周りの環境を気に入ってくれ、また自転車通学という新しい生活もとても嬉しそうにしていて、親としてはほっとしてます。
海外での暮らし、そこでの苦労、いろいろとありますが、最期の最後で彼らが嬉しい顔をしてくれれば、「よかった」と息をつき、ぐっすりと眠れる自分がいます。気づけば自分のしていること全ては子どものため、家族のためなんだなと気付きます。
自分の欲しいもの、やりたいこと、そればかりを考えていたのもさほど昔ではありません。もちろん今だって自分の欲もあります。
それでも、少しづつ父親として自分が変わっているなということを感じる今日このごろです。
(もしかしたら遅すぎるのかもしれませんが…)