日本ではサラリーマンの男性が休日に家族と過ごすことを「家族サービス」と表現することがあります。貴重な休日を自分の付き合いや個人的趣味に使うのではなく、家族のために時間を使うことを、外の相手に「今日は家族サービス」というように使われます。
SNSなどでこの言葉を見かけることがあるのですが、個人的には結構ショッキングな光景です。
サラリーマンとして働くということは、基本的に時間を売るという契約を元に成立します。月曜から金曜まで、1日8時間、その会社に時間を提供する代わりにお給料をもらう。その人が優秀であれば給料が増えることはあれど、基本的には会社に提供する時間が減るということはない。すると生活の中で残った時間は土日だけになります。この短い2日間を、仕事の準備でもなく、勉強でもなく、友達と遊ぶでもなく、趣味でもなく、家族の為に使ってあげよう。そういう考え方が「サービス」という表現に繋がってしまっているような気がします。
なぜ日本には「家族サービス」という言葉があるのかを考えると、「稼いでいる人が偉い」という空気があるからのような気がしています。共働きの場合でも女性ではなく男性が使いますね。
家族内で誰が収入を得ているか、父親か母親か、子どもか大人か。そういうもの関係なく、フラットな関係で協力していくのが家族というチームだと思います。もし働いていても家庭にいても(それが男性でも女性でも)、立場がフラットであれば働いている人が家庭のために時間を過ごして「サービス」なんて言葉は出てこないと思います。
以前、日本でベストセラーだと聞いて「嫌われる勇気」という本を読んでみたのですが、こんな一節がありました。
「仕事」とは、会社で働くことを指すのではない。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。
日本は労働環境が過酷だと思いますが、海外諸国と何が違うかと突き詰めると、「仕事=会社=人生の時間のほとんど」となってしまう意識や慣習にあるのかなと思います。
じゃあ「その言葉が問題、その言葉を使わないようにしよう」と言葉狩りのようなことをしても仕方ないので、もしそういう観念が自分から自然と出ているな、誰かから出た時に違和感なく受け止めているな、と気付いたならば、ちょっと立ち止まって考えてみるよい機会ではないかと思います。