かつて「高度な教育を受ける vs 塾にも行けない」という違いを教育格差と呼んだのかもしれないけど、これからは「自然な環境で育てる vs スマホやテレビ漬けになる」というようになっていくのではないかなと思う。
コストに関して言えば、コンテンツ産業に浸かるだけの後者は情報機器の普及とともにほぼゼロコストに向かっていくことに反比例して、前者の方が手に入れがたいものになっていく。
その結果学力がどうなるかは分からないが、少なくとも幼少〜小学校くらいの年代の子育てでは、これからの世間の流れはそうなるんじゃないかなと思っている。
そういう意味で、シュタイナーであったりモンテッソリといった教育思想に興味を持つ人は増えていくだろうと思う。多分それを求めてたどり着くというよりは、俗世間に疑問を感じ「そうではない何か」を探した結果としてそういうキーワードが出てくるのだと思う。
ところでシュタイナー教育について日本ではどのくらい知られているだろう。
少しでも教育の勉強をした人は知っているだろうし、かといって学校の先生でも「何それ?」と知らなかったりもする。
日本でのシュタイナー学校事情
いきなり個人的な結論だが、日本でシュタイナー学校に通うのはまだまだかなり難しいことだと思う。なぜなら、それが圧倒的に少数派であること。そして日本というのはマイノリティであることの社会的風当たりがひときわ強い文化だからだ。
自分の興味関心であれば、風当たりが強かろうが我道を行けばいい。でも子育てではそこにある地域やそこにいる友達との関係性や、どんな人も寛容に受け入れ会いいろんな人と関わることがとても重要なものだ。親の勝手な方針で「あっちはダメ、こっちよ」「あの子とはダメ、この子と遊ぼ」ではその子の社会性によくない影響を与えてしまうだろう。
もちろん、シュタイナー学校やそこに関わっている人たちを批判している訳ではない。これからもっと広まっていくと仮定して、その名前や格好だけを買ってくる人が増えてくると、子どもを置き去りにした賞賛や批判ばかりになってしまい、本質を見失ってしまうからだ。
現時点でもGoogleで「シュタイナー教育」を検索してみると、関連ワードにはまず「問題点」「批判」が出てくる。スマホを握りしめて子育てをする多くの人がこのような情報から入って来ればその良さや本質を掴むのは難しくなるだろう。
やはり、自分の子どもにどんな風に育てたいか。そして選択肢としてシュタイナー教育があるなら、まず書物を読み理解し、それから今の住む街で、それを健全に実践できるかどうかを見極めることだと思う。
自分たちには特別すぎた
僕達は娘が保育園に入ろうかという時、住む街の最も近くにあるシュタイナー学校に見学に行ったことがある。そこはとても素敵な場所であったけれど、僕たちは選ばなかった。
理由はそこに通うことは当時の自分たちにとって「特別すぎた」からだ。どんなに良い選択でも「特別すぎる」ことはやめ、しっかりと地に足がつく身の丈に合ったものを選ぶことで、自分たちは自然になり自然な生活から余裕が生まれると思ったからだ。
つまり、僕たちがシュタイナー幼稚園に接することになったのはたまたまそれが比較的普及した北米に住むことになったこと。そして現実的に通える距離に良いと感じた学校があったから、に過ぎない。もし「シュタイナー幼稚園に入ること」を目的としてしまったら、生活にも自分たちにも無理が出て、本来大切にすべきことを置き去りにしてしまったかもしれない。
たまたま日本でも僕たちの住む街では選択肢はなかったが、関東圏のように人口の多い場所では当然学校も多いし、1つ1つの規模も大きく、とても自然に多くの子どもが集まっている環境もあるだろう。住み慣れた日本で、自宅近くでそういう学校があれば理想的だと思う。
僕たちはその後日本では普通の保育園に入ったが、「シュタイナー教育も考える人が普通の保育園に行ったら問題が出る」こともまた明白で(笑)、日本での保育園ライフも二転三転と問題が起こったのも事実だ。
それはまたブログに書きたいと思う。