少し前ですが、娘が10歳になりました。
第1子の10歳というのは、「10回目のおめでとう」の他に、親として「あれから10年なんだな」という感慨深さを伴いました。
誕生日当日、娘の産まれた時刻、空が白みはじめる夜明け前、産まれた産婦人科(日本の郊外の小さなクリニック)に散歩に出掛けました。産声を聞きながら見た朝日が同じように僕らを照らし、その日の思い出を話ながら散歩をしたのがとても良い思い出となりました。この感覚は、第2子、第3子では感じないかもしれませんね。
これを読んでいる方には、既に10歳以上のお子さんのいる方も多いかもしれません。
一方、私は今30代(後半)の世代ですが、自分の周りでは子どもを持ったのは早い方でした。今でも周囲の友人知人を見渡してもまだ幼少期だったりすることが多いです。
なので、自分に近い世代が読んでくれているかもしれないこのブログで「私が10歳まで子育てをしてきて思うこと」を共有したいと思います。
10歳まで子育てをしてきて思うこと
それは「5歳くらいまでがすべてだった」ということです。何かを教えるとか、訓練するという技能的な意味ではなく、すべての物事のベースとなる「感覚」「感性」が育つ時期という意味です。
私たちは世間から見るとちょっと変わった考え方や暮らしをしていると思います。自分たちに「こだわっている」という意識は全くなく、単により良いと思う選択をしているだけですが、客観的に見るとそれはマジョリティではないことが多いです。
例えば、食べ物だったら化学調味料の入ったものや、無農薬でないものはほとんど食べないとか、コンビニには一切行かないとか。子育てに関してならプラスチックやキャラクターものは避けるとか、テレビやテレビゲームをしないとか。
でも「そういう子育てをするんだ」という思いで、子どもに対して気を配るようにしたのは5歳までだったな、と思います。
それは「5歳くらいまでそうであれば、それ以降もそうなった」からです。
つまり親が何か口出ししなくても、味覚は大人である私よりもずっと繊細だったり、子どもたちだけでどんどん遊びを創ってしまったりする。
これは自分にとっても驚きであり、発見でした。
娘が7歳になったくらいから、それまで意識的に避けていた食べ物や遊びも開放するようにしました。日本のコンビニで売っているようなお菓子を一緒に食べてみたり、わざとファストフード店に行ったり、世間的に流行っているドラマを観てみたり、スマホゲームをやってみたり。
でも、今それをやっても「繰り返し食べたい」、「もっとやりたい」ということはありません。その時は体験として楽しむものの、やっぱりお家のご飯が1番美味しいし、ゲームはすぐに飽きて自分のしたいこと(娘の場合はひたすら読書)に戻っていきます。
小学生くらいになると、お菓子ばかり食べて野菜をなかなか食べてくれないとか、ゲームに夢中になって困る親は多いと思います。
私はそれは時代だし、そういう子どもたちが良くないとも思いません。でも、そこまで到達することが分かりきっている環境を親が幼少期から良しとしてきたのに、ある時期になって規制をしようとするのは大変だろうなと思います。
だから、何を言いたいかというと、今小さな子がいたりこれから子育てをする人で「何か良いと思う生活スタイルがあって、でも世間ではそれは少数派だからなかなか大変」という状況であっても、5歳までは少し頑張ってもいいのかなと思います。
数字もひらがなも一切覚えなくてもいいと思うし、習い事もしなくてもいい。
同じ月齢の子と比べる必要もまったくないし、デザインされた幼児番組も、おしゃれな知育玩具もいらない。
ただ自然なものを丁寧に調理して食べて、
その辺に落ちているもので遊ばせ、
できるだけ沢山の子どもや大人とふれあい、
褒めるも叱るも目を見て言葉をかけ続ければいい。
それだけで、その子らしい好奇心と表現力いっぱいの5歳児になるのかなと思います。
そしてそれ以降はその子から教わることの方が多くなるかもしれません。