娘が5歳になった頃から、ベッドタイム等の母親からの読み聞かせとして「魔女の宅急便」を読んでもらっています。
魔女の宅急便というお話はスタジオジブリのアニメとしてよく知られていますが、原作は角野栄子さんによる児童書で、1985年に福音館書店から刊行されています。
児童書といっても小さな字の分厚い単行本で、全6巻まである長編。
また内容もおそらく小学生高学年くらい以上(主人公キキと同い年くらいの子)の内容なので、出てくる言葉や心情描写など5,6歳には難しい部分もあると思いますが、物語自体はさほど複雑ではないので、細かい所は想像力に任せ娘は夢中になって物語を楽しんでいるようです。
母親に少しづつ読んで貰っているので、全巻読破するにはおそらく2年程かかる計算の壮大な物語です。
いつも、想像のための余白を
原作本では当然ながらアニメのイメージとは一切関係はありません。
またビジュアルがとても限られています。表紙を見ても分かる通り、シンプルなシルエットをベースとした世界観のイラスト、そしてページ中に時々出てくる白黒の挿絵だけ。
あとは耳で聞く言葉だけで、物語の世界はすべて頭のなかで再現されます。
多くの人が知っている通り「魔女の宅急便」はとても素敵な物語です。
ただ、アニメ映画の存在があまりに大きいためどうしてもアニメを観たくなります。アニメの方が子どもには分かりやすいと思うのは当然です。
しかし「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、その逆もまた真なり。「一見したものは百聞でも覆らない」ものだと思います。つまり、一度アニメの方を観た後では、読み聞かせをしたときに頭のなかに上映されるビジュアルはすべてそのアニメの絵にしかならないのです。
僕はそれは悲しいことだと思います。
ジブリの絵は素敵かもしれません。でも、それってただ才能のある人が原書を読み、想像し、表現した1つの例に過ぎないからです。
じゃあ、その部分、ぜひ子どもにやらせてあげたらどうかな、と思います。
だって、みんな出来るのだから。
街の様子、キキの服の色や形、表情、平和なシーン、ドキドキするシーン。
多分、100人の子どもがいたら100通りの魔女の宅急便の情景ができます。
それを絵としてアウトプットする技術はまた別の話です。
どんな世界を描いているのかは親すらも知り得ませんが、その絵はきっと美しいものだと思います。
そして、もし将来的にアニメを観る機会があれば、それは「自分が読んだ本の、どこかの誰かの1つの解釈」という位置づけになります。そうなることで初めて「自分の解釈」と「他人の解釈」を同列に並べることができます。
そして才能ある作家の解釈を観るということは、人々が美術館へ行く理由と同じく、素晴らしい体験だと思います。
映画やアニメなどで「ぜひ子どもに観せたい!」作品を見つけたら、まずは原作を一緒に読んでみることをおすすめします。
この福音館創作童話シリーズ「魔女の宅急便」は各巻ごとにイラストレーターも異なっていて、その違いを子どもと一緒に見るのも楽しみの1つです。