プログラミング教育について思うこと

Cropped man and woman using electronic device free image from rawpixel.com

1年以上前ですが、日本でのメディアリテラシー教育に関連した「デジタル教育宣言 スマホで遊ぶ子ども、学ぶ子どもの未来」という本を読みました。
プログラミング教育が大事だよという内容です。事例が羅列されているだけで考察が浅いような気がしますが、単に「私が使っているデジタル環境すごいから教育にも絶対取り入れるべき!」という感じの本でした。

昨今、早急に進められている感のある教育でのIT活用、プログラミング学習。
僕の意見としては、「まったくもって不要」という気持ちです。

こういった主張をする人(大抵は大学やNPO、企業代表などの肩書を長々と連ねている)がいますが、本来やらなくていいことを一生懸命やっているという印象を持ちます。

例えば個人として所有するスマホやタブレット。これらによって仕事や私生活が便利になるのは良いことです。でもその普及期において、よくある光景というのが

「使いこなしている自分」に酔っている人が、使いこなしていない人を「遅れている」として、特に必要としていない人にまで「みんなも使いこなすべきだ」という主張をはじめる

ことです。

そして、その対象が教育になり「デジタル教科書」「プログラミング教育」を教育現場の外から推進しだす人々もいます。
彼らは単に誰かが作った凄いものを、まだそれを知らない人にプレゼンテーションしたいだけで、結果的にデジタル化の伝道師として名を売りたいだけのように見えます。
プログラミング必修化に向けて、それをビジネスチャンスとして捉えている企業や組織も沢山あります。

子どもも、先生も、必要だと言っていないのに、こういう時代だから、すごいから、便利だから、他国もやっているから、遅れているから、という理由で推進されるべきなのでしょうか。

教育現場にデジタル革命が起こるのは自然の流れだと思います。
でもそれは、実際に教育現場にいる先生が自然に手を出せる時で良いのだと思います。

「日本は遅れている」という言葉が必ずといっていいほど出てきますが、教育システムは国ごとに違います。後進国であれば早急なデジタル化による大躍進を狙う意義は大いにあるかもしれませんが、日本がそれをするメリットはほとんどないと感じています。

もし教育のIT化の波を立てるなら、その時代ごとに第一線に立てるような企業、クリエーターやエンジニアとともに未来を考えるべきでしょう。
日本では、やたらと肩書きが立派なデジタル推進者、伝道師が多すぎるような気がします。

この分野を調べると、上記のような人たちが「早く早く」と急かしている声が多いのですが、こちらの先生は異議を唱えられていて、僕はとても共感しました。

「必修化盛られた小学校のプログラミング教育の問題点とは」同志社大学教授・三木光範
http://www.sankei.com/column/news/160801/clm1608010006-n1.html

物事にはそれを学ぶ最も適切な年齢がある。情報化社会を生きていく上で新たに学ぶべきことは多いと思うが、プログラミング教育はそれに適していない。

僕は小学校で英語の時間を増やすこともあまり賛成ではありませんが、プログラミングをやるくらいならその分を英語に回したほうがずっとずっと良いのではないかなと思います。

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