6月半ばから夏休みに入っています。
先日は友達家族とソルトスプリング島へキャンプに行きました。
子どもたちは海辺で遊んだり、泳いだり、自転車で走り回ったり。そして僕らも持ち込んだカヤックで子どもたちと一緒に周辺の入江まで行ってみたり、トレッキングしたり。1週間ノープランのキャンプでしたが毎日あっという間に過ぎて行きました。
今回利用したキャンプ場は電源やシャワーが無いのはもちろん、炊事場もありません。あるのは簡易トイレいくつかと、飲用水の水道だけ。水道には「ここ洗い場ではありません、洗い物はそれぞれのサイトでやってね。」と注意書きがあります。
水は自分たちで持参するウォータータンクに汲んで自分たちのサイトで使います。その僅かな水で料理や飲水に使う他、洗い物も済ませるというのはいろいろな工夫が必要です。
食器は洗剤を使わずに洗う
洗剤を使えば汚れは落ちるかもしれませんが、洗剤を使うと洗う水に加えて洗剤を洗い流す為の水が余計に必要になりますし、自然環境にも良くありません。洗剤を使わなくても、お湯があるだけで汚れは十分に落とすことができます。また、調理に使ったお湯を残しておけば洗うためだけにお湯を沸かす必要もありません。
鍋にお湯をため、食器を付けてスポンジで汚れを落とす。そしてすぐ布巾で拭き取る。これだけで食器は十分に綺麗になります。
そもそも、キャンプ中に洗剤を泡立てて食器がピカピカになるまで洗う必要があるのか?といったことも考えるべきかもしれません。もしそれが最終日であれば汚れたまま持ち帰って自宅で洗うことで、キャンプ場の汚れやゴミの量を減らすことができます。
僕たちは普段家で使っている食器をそのまま持っていきます。陶器だと少し重く割れる可能性があるのが欠点ですが、汚れが落ちやすいという利点があります。
水のこと以外にも、生ゴミをできるだけ出さない素材の調理方法や、できるだけパッケージされた商品を出来るだけ買わない、などいろんな所に気をつけると、キャンプをしていてもほとんどゴミが出ません。朝昼晩、家族全員の食事をしても、1日で小さなビニール袋1つ分くらいになります。
「自分たちだけ、今回だけ」ではなく「持続可能」であるために
どんなに大きなキャンプ場で、どんなに大勢の人が利用していても、各自がちょっとした工夫をしているだけでキャンプサイトは汚れないし、清掃にまつわる管理業務も軽減でき、持続可能な状態が作れるのだと思います。
日本でも美しいキャンプ場が沢山ありますが、使い捨ての紙コップと紙皿と割り箸のゴミを大量に置いて帰るという光景はどこでも見られます。
キャンプをあくまでレジャーとして考える人々は、キャンプ場に綺麗なトイレ、シャワー、炊事場、といった設備を求めます。そして設備が整えば整ったで、大量の水を使って毎晩シャワーを浴びる、炊事場で大量の洗剤を流す。
これではキャンプに来て自然を体験しているつもりが、自然を汚しに来ているだけに過ぎないということになりかねません。
キャンプをファッション的に楽しむのは悪いことではないと思いますが、「自分の物はいつもピカピカにしたい」「汚く臭い物は捨ててしまいたい」「いつもかっこ良くいたい」といった自我を全て捨てることができればもっと素晴らしい体験ができると思います。自然のなかではそれらは意味が無いということに気づくと、それを捨てるのは難しくありません。
便利ではない場所での経験を重ねることで、僕たちは自分を振り返り頭を使って工夫ができることに気付きます。
そして日常へ
せっかく楽しみでキャンプに行くのに、ケチケチして過ごすのは不便だと思うかもしれません。誰もが最初はそう思うと思います。
しかしそのまま3日でもキャンプをして過ごしてみると「それでも結構ハッピーだな」ということに気付きます。「物質的な物があってもなくても、自分たちの幸福度ってそんなに変わらないな」という感覚はとても貴重な発見です。
そうすると家に帰った時、シャワーからお湯がガンガン出ることとか、水を流しっぱなしにして洗剤で泡だらけにしてお皿を洗うことに、少なからず違和感を感じます。
生活が洗練される瞬間というのは、新しい家電を買った時とか、新しい家を買った時ではなく、こういうことに気付き自分の習慣を少しだけ見直せる時なんだと思います。そしてそれを繰り返すことによって、暮らしが少しづつシンプルで洗練されたものになっていく。
人間の欲は限りのないもので、残念ながら、僕はすぐに当たり前の便利さに慣れて忘れてしまいます。
だからこそ、時々自分たちの暮らしを自然の前に持っていき、見てもらう必要があるのだと感じています。