こちらでも桜が咲き、抜けるような晴れ間が気持ちいい季節になってきたこの頃。
寒く暗く長い冬のトンネルを抜けたような気分で、カフェでくつろぐ人々もウキウキとしている。カナダというと「寒い?」と聞かれることが多いが、西海岸は日本の北陸や東北・北海道と比べて特別寒いということはない。
そんな冬の生活の中、学校で驚いたことの1つに「子どもの防寒についての考え方」がある。
子どもは風の子
我が家はまさに日本的な「子どもは風の子」の考え方で、小さなころから出来るだけ薄着をさせるようにしている。あえて薄くする訳ではないけれどちょっと寒いくらい、というのは子どもを強くする為に良いことだと考えている。
日本で通っていた保育園も木造園舎で、園児はみんな裸足が基本。真冬でも鼻水垂らしてランニングシャツで走り回る子が沢山いて、我が娘も例外ではなかった。
こちらでもそのままの調子でいたのだが、寒い冬を迎えつつある日のこと。先生が僕にこういった。
「彼女にもっと温かいジャケットと手袋、そしてウールのブーツを着させて来て欲しい。」
僕は「これは日本との文化の違いだな。寒さに強くなることは良いことだし、日本ではそれを子どもは風の子っていうんだ。本人は全然寒がっていないでしょ?」と少し誇らしげに思ったのだが、彼女の真意はそうではなかった。
暖かくすることで取り組むべきことに集中する
シュタイナー教育での考え方は
- 寒さに耐えようとすることで身体の力が そちらに使われてしまう。
- 十分に暖かくすることで脳が取り組むべきことに集中できるようになる。
小さな子どもにとっては「寒さに耐える」ということだけで身体的にも精神的にも多くのエネルギーを使う。それはそれとして、もし道具や服装によってそれをカバーできるのなら、そのエネルギーをもっと別のことに向ける。
確かに、「寒い寒い」と身を縮こめて時間を過ごすよりは、リラックスして目の前にある活動に集中した方がずっと良いかもしれない。
(もちろん、ここで言っているのは外で遊ぶ為の防寒具ということであり、寒いから暖房の効いたクラスルームで過ごすべき、ということではない。学校では雨でも雪でも関係なく毎日野外活動をしていて、むしろ悪天候の方が遊び甲斐があると考えているような気もする。)
知恵を使い、新しきを産み出す
「薄着で頑張る」というのは精神論としては美しく聞こえるが、日本の極寒のたんぼみちをマフラーも手袋もつけず顔を真赤にして自転車をこぐ中学生を見ると、少し複雑になるのも確かだ。
ヨーロッパの寒い地域では冬はしっかりとした防寒具で完全防備していて、それによってファッション文化も進んでいるような気がするが、要するに季節に応じた服装・道具を自分で考えて身に付けることは文化的な豊かさと言えるかもしれない。
「子どもは風の子」 の根本は、「来るべき困難に対して体力と精神力で耐えぬく力を付ける」という考えを感じる。そして「しっかりと防寒する事」の根本は、「困難には知恵(防寒のための道具)を使い、心身の余裕を元に新しきを産み出していく」という考えを感じる。
どちらが良い悪いということではないが、異なる考え方を広く取り入れ広い視野でものを考えていくことも大切だと感じた出来事だった。