3月の沖縄、離島の小さな村に滞在しました。
子どもが多いこの村では、村の大人が子どもたちを皆知っていることで、親は子どもたちを放っておいて不安なことはないし、子どもたちも自由奔放に駆け回っています。
娘は毎日きままにどこかへ遊びに出かけて日が暮れるまで遊ぶ。そのまま友達の家に泊まらせてもらったり、逆に僕たちのコテージに子どもたちが集まって泊まったり。
面白いことは沢山あるのですが、子どもたちを見て思ったことをちょっとだけ書こうと思います。
今回はメディアとの関わりについて。
今、日本の子どもたちはスマホやタブレットに夢中です。YouTubeでアニメを見ているのか、ゲームをやっているのか知らないが、街にはうつむいてスマホをいじっている子どもが沢山。
もちろんそれは世界中の流れで、こういった離島の大自然の暮らしでも子どもたちはスマホに興味があるし、YouTubeでアニメを見るのが好きな子もいます。
リビングのパソコン
ある家の3人兄弟。一番上の兄ちゃんは高学年なこともあり、ネットで見られる番組やアニメが大好き。ここで育った彼の「野生度」は都会の子とは比にならないが、興味関心はやっぱり普通の子だ。
開放的な木造平屋建ての家の広間には、デスクトップパソコンがある。ちょうどどの家のリビングにも中央にテレビがあるように、その家にはパソコンが置いてある。
僕にとって、子どもたちにパソコンが解放されていること自体が意外だった。なぜならこの家族はほぼ自給自足で、メディアが言うなら「大自然の中の素敵な暮らし、子育て」をしているからだ。
ところが、パソコンは平家の真ん中にあり、彼は暇さえあれば動画を探して見始める。
楽しげな音が聞こえ始めると、他の子どもたちが集まり一緒に見始める。村中の子どもたちが自由に出入りするので、常に兄弟だけでなく他の家の子どもたちも集まってくる。
ある時、彼が少し大きい人向けのアニメ(中学〜オタクな大人の人が好む感じ)を見始めた。すると、この「中央にあるデスクトップパソコンをみんなで見ている」という状況ではこんなことが起きる。
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小さな子どもたちが「つまらない!」「意味わからない」「怖い!」と散っていく。
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そして裏で仕事をしていた母に「○○にーにが怖いものを見ている!」「みんな怖がってる!」と報告する。
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周りのみんなから様々な非難を受けた彼は、それを見るのをやめて「みんなが楽しめるもの」に切り替えたり、パソコンを切ってみんなで遊ぶことにする。
テレビ的リビングパソコン
僕はその子どもたちの様子をみて、それはとても「テレビ的」だと感じた。
その画面を見ているのは自分だけではなく、その空間に公開されている。
家の真ん中にある、画面がみんなに向けられたパソコンは、その空間に影響を与えるパソコンになる。
彼は自分が面白いと思うものでも、人によって退屈、恐怖、などいろいろな感想を持つことをいつも感じる。
インターネットでは、ある場所は基本的にはそのコンテンツが好きな人だけが集まっている場所となりがちだ。それこそがインターネットというメディアの危険性かもしれない。そこで、このように自分あるいは自分の同類(そのアニメを好きな人たち)の意見だけに囲まれないことは、極めて重要な社会性を育む環境なのかもしれない。
(以前の記事「3歳以下の幼児がスクリーンをみるべきではない理由」の中でも、スクリーンを一緒に見ることの「社会的な相互作用」に触れている)
いろいろな年齢、立場の他者が「どう感じるか」を知ることの大切さ
今、子どもたちが触れるスマホやタブレットは、画面自体が自分だけものだ。画面の大きいパソコンであっても、大抵は個人的に持っていたり、リビングの隅に置かれていて、テレビほど空間共有するものではない。
ネットでは同類が集まりやすく、コメント欄などでそのアニメを賞賛するものばかりを見続けると、自分のセンサーがその基準で再補正されていく。それを繰り返すと、他者とのずれが少しづつ広がっていくだろう。
僕は、最初は「なぜこんなにいい雰囲気の家なのに、真ん中にパソコンを置いちゃうんだろう?」と思った。でも、その子どもたちの様子を見て、それが意図的なものなのだと気づいた。
「規制」ではなく、自分で判断できる力を
夜、その父ちゃん(父親として、ひとりの人として、僕が尊敬する人のひとりだ)の意見を聞いてみた。
子どもたちが、子どもたちなりの社会で知り、興味を持ったものを「規制」することはしない。
今生きている社会で自然に生きて自然に見聞きするのであれば、それが「自然」であり、考えに合わないからといってそれを規制をすることは「自然」ではない。
父ちゃんもパソコンをする。好きな音楽を聴き、面白そうなコンテンツを見る。ならば、子どもも同じようにする権利がある。
ただ、スマホやタブレット、部屋の隅でやるパソコンではなく、みんなから見える画面のパソコンで、それができる。それは父ちゃんも子どもも同じ。みんなと共有してみんなの意見を聞いて、あとは自分たちで考えろ。
離島の親離れは早く、どの子も中学卒業とともに本島などの高校に進学する。
その時に『自分で判断できる力』を持っているかどうかが、とても大切なのだと思う。
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