春になってから学校でも街でもイベントが盛りだくさんなのに、なかなか書けてないけど少しずつ…。春の目玉として4月にあったイースターの様子を紹介します。
学校でのイースターは学校全体で何かするというより、クラスごとの先生が企画してそれぞれのクラスで行います。我が子の幼稚園クラスは春休み前の最後の金曜日、学校近くのファームカフェを借り切ってクラスの子どもや親たちが集まりました。
まず原っぱでいつも通りの朝のサークルタイム。その後、カフェに移動して前日に子どもたちが焼いたパン、りんごなどをみんなで食べました。
それから先生が先導して森への探検が始まります。広大なファームの向こうにある森まで列になって歩いていくと、森の斜面のあちこちにおはじきが巻いて隠してあり、子どもたちは一斉に散らばってそれを探します。森のあちこちで「見つけた!」という声が響き子どもたちは見つけたおはじきを見せ合ったりして盛り上がります。
シェアする気持ち
いち早く見つけて声をあげる子。大きなサイズの特別なおはじきを見つける子。なかなか見つけられず、泣き出してしまう子。
大人は簡単に見つけられるので、見つけられない子がいるとつい助けてあげたくて、こっそり拾って渡したくなったり、そこまでしなくても小声で「ここにあるよ」と教えてあげたくなってしまいます。
でも、そんな心配は全く要らないようでした。
泣いている子がいれば周りの子が集まってきて、その子の為に一緒に探したり、多めに見つけた子もそれを独り占めせず分けてあげようとします。親や先生がでなくても、そっとしておけば子どもたちだけで、自発的にみんなで共有しようという動きができます。
こういう雰囲気は、意外と難しいもの。子どもの性格には先天的なものもあると思うけど、ほとんどは環境によって変わる、または環境によって作られたものだと思う。優しくもなれるし、独り占めもできる。ただ殆どの子は「みんなを見て動く」のでどちらかになっていくのだと思います。
独り占めする子と泣いている子がいる雰囲気が普通になれば、そのコミュニティはそうなっていく。ただ一人でもその子助ける動きを見せれば、他の子もそれに習おうとします。
なので、一番最初(もっと小さな年齢)からシェアすること、助けることが自然にある環境にいるということはとても重要だと思います。
娘が日本で通っていた保育園では、園に1,2人の障害のある子を受け入れていました。子どもたちはその子を何の隔て無く当たり前に受け入れて、必要あらばみんなが声をかけ助けあう。子どもたちの姿は、どこまでも自然体で何の壁もないものでした。
幼少期は子ども一人ひとりの発達段階に大きな差があります。障害と言われるものをそうとみなすのは大人であって、子どもにとっては単に得意不得意、ちょっとした能力の違いに過ぎないのです。つまり、背が高いとか低いとか、静かな性格かわんぱくか、くらいの違い。幼少期からいろんな能力差のある子と共同生活することは、とても大切だと感じます。
娘を育てていて、いろんな場所で見知らぬ子と上手く遊ぶ姿を見ると、そういった経験が当たり前の物としてあるからこそ「シェアすること」が今も当たり前にできているのかもしれませn。
エッグハンティング
ちょっと話がずれてしまいましたが、ここからがメインのエッグハンティング。
さっきのおはじきハンティングの間、大人がさっきの原っぱにイースターエッグを隠します。前日までに子どもたちが作ったイースターエッグは先生が隠して持ってきてあり、1つづつそっと隠していきます。
この日の一連の流れには全てストーリーがあり、先生が先頭に立ち、妖精の声に従いながら進めていくという感じ。
おはじきハンティングが終わった頃に、先生が妖精の「さっきの原っぱに戻ってみて!」という声を聞き、子どもたちが原っぱに戻ってきます。
そしてみんな一斉にエッグハンティングを始め、ストーリーの最後にイースターエッグが見つかる!というもの。
子どもたちははしゃぎ回るように楽しんでいました。
イースターは学校とは別に友達の家でも工夫をこらしたエッグハンティングをしたり、街のファームやカフェでもイベントが企画されていたり、春の訪れとともに子どもたちの楽しみの1つというような楽しいものでした。