その小さな集落の子どもたちは、びっくりするほど激しい遊び方をする。取っ組み合いになると揉みくちゃに転がり、「ドスドス!」と鈍い音を立てて本気で体を叩き、暴言も飛び出す。
お洒落で清潔、お行儀よく、な都会の子育て環境ではありえない光景だ。ふつうのパパママなら間違いなく顔を引きつらせて我が子を自分の膝元に呼び戻すだろう。
でも、人と生身でぶつかり合うことで、子どもは加減を覚えるのではないだろうか。
どのくらいの力で叩くと、痛いのか、痛くないのか。
すぐに消える程度の痛みか、あるいはあざが残るほどの痛みか。
体のどの部分が頑丈で、どの部分が弱いのか。
思いきり人を叩くと、なぜ自分の手も痛いのか。
小さなころからそんな中で育つことで、加減を知っていく。
「人を叩いちゃだめ」と教え、もし子どもの遊び相手を叩けば飛んで行って相手の親に謝る。
加減を全く知らずに、大きくなる。加減を知らずに大人の力を手にいれる。生身の体という感覚が希薄になることで、突然相手を大怪我させてしまったり、死なせてしまったりというこが起きてしまうのかもしれない。
友達を叩くのはよくないことだけど、できるだけ力の弱い小さな頃に、揉みくちゃになって喧嘩する経験、あるいはそういう子が周りにいる環境、というのは大切なのではないかと思った。
夜、お酒を飲みながら、狩猟をするお父さんは言う。
僕たちは獣の首にナイフを刺して殺す。
その感覚は、慣れた今でも、心が震える。
でも一度その感覚を味わえば、人を傷つけることは絶対にできないと思う。
混ざってしまえば同じように遊びはしゃぐ子供達。
でも、日々を生きる中で経験する「生きる濃度」は全く違う。
僕はこの島での出会いや経験に大きく影響を受けて、同時にそれをありがたく感じる。
ここに来るまでの飛行機で肩を並べるリゾート感溢れる旅行者たちとはかなり様子の違う旅だが、子どもが一緒にいてくれる間にできるだけ足を運びたいと思う。